1948-07-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第42号
○芦田證人 そうなると非常にむつかしい法律論になるように思いますが、民主党創立以來の慣習で大体創立当時の最高委員の首席が齋藤君であつた結果、齋藤君がそういう問題についての責任者として届出をしておられたが、私が幹事長になつても、おそらくそういう慣習で齋藤君が判を押しておられたのであろうと了解しております。
○芦田證人 そうなると非常にむつかしい法律論になるように思いますが、民主党創立以來の慣習で大体創立当時の最高委員の首席が齋藤君であつた結果、齋藤君がそういう問題についての責任者として届出をしておられたが、私が幹事長になつても、おそらくそういう慣習で齋藤君が判を押しておられたのであろうと了解しております。
○國務大臣(芦田均君) 只今寺尾君のご意見の前弁においては、私と全然同一であります民主党創立以來、更に遡つに言えば、私自身が自由党を脱して新党に参加したのも、今日に至るまで一貫したる我々の考え方で、即ちこの経済危機を前にして、日本の政党はよろしく小異を捨てて大同に附かなくちやならん。できるならば挙國的政権を樹立し、これによつて國民の政治力を結集することが最善の方法である。